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干瓢の由来

栃木県の干瓢は全国的に有名で、主たる生産地は、上三川町・壬生町・下野市等に及びます。1712年、壬生藩主であった鳥居忠英公は、領内の産物の生産性の低劣に手を打つべく、また農業政策の重要性を痛感し、郡奉行松本茂右衛門に干瓢による振興策を命じました。

茂右衛門は江州(滋賀県)伊賀郡から干瓢の種子を取り寄せ、その種を黒川の流れの東西の名主に渡し、試作させました。
しかし、川西は不成功に終わり、川東の藤井村で名主篠原丈助が成功させました。

干瓢の生産は特に天候と地質の影響を大きく受けますが、長い間、天と地の試練と戦い、工夫改良を重ねて現在の栃木の干瓢が作り出されたのです。

2024年12月2日

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